長崎くんちのコッコデショの歴史や由来に掛け声は?次はいつ見れる?

日本三大くんちの一つ、長崎くんち

見どころである奉納踊りの中でも特におすすめで、人気の高い出し物が「コッコデショ」です。

「コッコデショ」という言葉を初めて聞いた方は、どんなものか想像もつかないという方もいらっしゃると思います。

今回は長崎くんちの中でも有名な「コッコデショ」について詳しくまとめていきたいと思います。

名前は知っているけど細かい内容は知らない!

コッコデショのことをもっとよく知りたい!

という方には、コッコデショの歴史や由来コッコデショの見どころについてもお伝えしますので、ぜひご覧になってみてください。

また、独特の掛け声などもあるので、憶えておくとより一層コッコデショを楽しめると思いますよ。

 

長崎くんちコッコデショとは?

「コッコデショ」とは、踊り町「樺島町(椛島町)」の奉納踊りの別名で、正式には「太鼓山」という名前の演じ物です。

コッコデショは、他の奉納踊りとは異なる独特の演技や掛け声などが有名です。

以下に、コッコデショの詳細についてまとめましたので、ぜひご覧ください。

コッコデショの歴史や由来は?

江戸時代の長崎の貿易品は堺、大阪の船によって上方へ輸送されることが多かったそうです。

その堺の船頭の定宿が樺島町であり、その関係から堺地方の段尻が伝えられたと言われています。

長崎くんちに初めて奉納されたのは寛政11(1799)年で、それ以来、くんちで最も人気のある出し物の一つがコッコデショとなっているのです。

 

長崎くんちは、オランダや中国の異国文化を取り入れた祭りですが、元は諏訪神社の祭礼です。

1634(寛永11)年、諏訪神社の神前で遊女が謡曲「小舞(こめえ)」を奉納したことが始まりとされています。

この祭りを始めたのは、榊原職直(さかきばら もとなお)が最初と言われています。

菅原職直は長崎奉行の一人で、もともとは武家出身で池上本願寺の僧です。

後に徳川四天王の一人である「榊原康政」の養子となり、江戸時代の長崎において関わりの深い歴史を築いていきました。

そもそも、なぜ長崎奉行が諏訪神社の祭礼(長崎くんち)を始めたのはなぜか?

この頃の江戸幕府は、三代将軍・徳川家光の時代であり、キリシタンへの弾圧が強まっていった時代で、長崎にも幕府の直轄領で奉行所が置かれていました。

町民にも関わりの深かった諏訪神社の祭礼(長崎くんち)を長崎の町の神事とすることで、町民を神社の氏子にさせ、強制的にキリシタンを改宗させることも目的だったとされれいます。

歴史的に見ても、長崎くんちが始まった1634年には、出島の建設が始まり、1637年には島原の乱がおこっています。

このような背景が長崎くんち発展の由来とされています。

 

コッコデショの特徴は?

コッコデショの特徴として、山車人数構成演じ物の流れをご紹介します。

 

山車(太鼓山)は担ぎ屋台になっており、4本の担ぎ棒に大太鼓を囲み、その上に5色の大座布団を載せた形が特徴的です。

コッコデショの参加者は、

  • 総指揮1名
  • 指揮1名
  • 長采3名
  • 棒先(指揮が指示する方向に1〜8番棒の先端の縄を引っ張る)8名
  • 采振り(コッコデショの周りで采を振る)4名
  • 太鼓山(櫓の上で太鼓をたたく)2班4名ずつ
  • 担ぎ手(山車(太鼓山)を肩に担ぐ)36名

のメンバーで構成されいます。

この他にもメンバーのサポート役として裏方もいて、大所帯で構成されています。

開催会場へはまず、担ぎ棒に4人を載せ、担ぎ手が足元を抑え、采振りが体を逸らし、大きく采を振って「ホーライエ」を歌いながら入場してきます。

 

次に、コッコデショの演技の流れについてご紹介します。

太鼓山中央にはやぐらがあり、その中の太鼓の四方には、赤い投げ頭巾を被った4人の男の子が座り、演技に合わせて太鼓を叩きます。

踊りは、

  • 太鼓山が突っ込む「トバセ」
  • 掛け声に合わせて山車を投げる「コッコデショ」
  • 太鼓山を回転させる「マワセ」
  • 再び太鼓山を投げる「コッコデショ」

で1回が構成されていて、これを4回繰り返します。

2回目の演技が終えたところで一旦退場しますが、観客の「モッテコーイ」に応えて3回目を行います。(アンコールのようなもの)

3回目の途中の「コッコデショ」で担ぎ手は一斉に法被(はっぴ)を投げ上げ、更に4回目の演技を終えたところで退場します。

 

コッコデショの掛け声は?

コッコデショの演技中、担ぎ手が掛け声をしながら太鼓山を担ぎ、演じます。

その時の担ぎ手の掛け声や、観客の掛け声を以下にご紹介します。

  • 「ホーラーエー」     入退場の時
  • 「と~ば~せ~」     太鼓山が勢いよく前へダッシュするとき
  • 「アー、ヨイヤーサー」  進行するときの掛け声
  • 「まーわーせー」     太鼓山を回転させる
  • 「コッコデショ」(3回)  3回目に太鼓山を上に投げる
  • 「トーナ」        投げた太鼓山を片手で受け止めた直後
  • 「アートニセ」      方向転換するとき

※コッコデショとは『ここでしよう』の意味です

以下は、観客側の掛け声です。

  • 「ヨイヤー」 太鼓山が勢いよく回ったときや、太鼓山をキャッチした時の掛け声
  • 「モッテコーイ」 太鼓山が退場した時の掛け声で「戻ってこーい」の意味

 

こんなに沢山の掛け声が上がるんですね。

覚えて長崎くんちで一緒に掛け声をあげるのもひとつの楽しみ方と思います

 

コッコデショの見どころは?

コッコデショの見どころといえば、やはり

太鼓山を投げる!!!事でしょう。

重さ1トンほどある太鼓山を36人の担ぎ手が一斉に太鼓山を投げ、片手でキャッチするとゆう見事な息の合った連携プレイ。

とても迫力があり人気の一つです。

そして、なによりもかっこいい!

担ぎ手36人が一糸乱れぬ演技が行えるのも、本番の日まで辛く厳しい練習があってからこそなのです。

「コッコデショで太鼓山を担ぐ」ことに誇りを持ち、全身全霊をかけ一生懸命練習したからこそ生まれる”結束力”を、この樺島町(椛島町)のコッコデショでは感じることができます。

3日間行われる長崎くんちの最終日最後のコッコデショでは、この日のために苦楽を共にした仲間との別れを惜しみ、演技中に”男泣き”する担ぎ手もいるほどです。

その思いは観ている観客にも伝わり、思わず感動で涙する方も多く見られます。

 

コッコデショが次観れるのはいつ?

踊り町の奉納踊りは、7年ごとに順番が回ってきます。

樺島町(椛島町)の出演は、昨年2018年にありましたので、次に見られるのは、2025年(令和7年)になります。

それより早くコッコデショを観たいという方は、上町が演じるの上町コッコデショも長崎くんちの奉納踊りにありますので、そちらもご覧いただけます。

 

こちらは、2023年(令和5年)に演じる予定になっています。

樺島町(椛島町)のコッコデショとはまた少し違った演技が楽しめると思いますよ。

 

コッコデショまとめ

今回は長崎くんち「コッコデショ」についてまとめてみました。

昔から続く伝統的なお祭りで、調べてる自分自信胸がワクワクドキドキでとても楽しみになってきました。

今年の長崎くんちも熱中症対策をしっかりしながら楽しみたいと思います!

最後まで閲覧いただきありがとうございました。